朝の洗顔中、 指が違和感を拾った。
眼鏡をかけて正面の鏡を覗き込む。
代わり映えの無い地味な容貌の中に、 常には無い小さな粒が額に一つ。
「……吹き出物、……いや、 僕の年代だとにきびって言うんだろうなぁ。」
額にかかる前髪をかき上げて、 しみじみ観察する。
痛みも痒みも無いが、 微かに赤味を帯びている。
そっと指で触れてみる。 小さく盛り上がった表面は、 意外と滑らかだった。
軽く押すと、 不快なほどではない鈍い痛み。 小さな痛みが寧ろ快い。
冷えた指先がじんわり温まる。 少し熱を発しているのだろうか。
目立つ程の大きさはないが、 それでも静かに存在を主張していた。
これが神楽の顔面に出来ていたのなら、 血相を変えて食事管理から始まり日中の生活態度、 生活習慣を改めようと奮起したのだろう。 疎まれるほどに。
「女の子の肌は凹凸一つないすべすべでなければならないのだ、 お通ちゃんのように。」
というのは新八の持論である。
しかし彼は男である自分の顔面にはかなりの無関心さを持ち合わせていた。
―元から損なわれるほどの美観など持ち合わせていないし……
「ま、 いーや。 おろないんでも塗っとこ。」
近づきすぎた鏡から離れて前髪を下ろす。
―そういえば最近、 寝不足が続いてたもんな……。
ここ数日の生活習慣を省みて溜息をついた。
万事屋での夕食を終えると、 後片付け。 新八の目を盗んで冷蔵庫からいちご牛乳を取り出す銀時。 その動きを視線だけで静止させながら、 皿を洗う。
それが終わると神楽に風呂へ入るよう促す。
テレビで翌日の天気予報を観ながら万事屋の経理…… というより家計簿をつける。 天気次第で明日の洗濯の予定が決まるのだ。 その隙に冷蔵庫へ向かう銀時を目線で凍りつかせることも忘れない。
神楽が風呂から上がると赤鉛筆を置き、 水気を大いに含んだ髪の毛をドライヤーで乾かしてやる。
銀時は 「それくらい自分でやらせろ」 と不満げな顔をするのだが、 彼女が猫のように目を細めてあまりに嬉しげに笑みをこぼすものだから、 つい手をだしてしまう。
いちご牛乳を諦めたのか銀時は、 茶を所望する。 神楽の頭から手が離せない新八は、 ドライヤーの音に掻き消されて聞こえなかったふり。
神楽の髪が乾いたら、 今度は歯を磨くように言い聞かせ、 銀時を風呂場へ放り込む。
深夜番組が観たいと駄々をこねる神楽をなだめ、 押入れの入り口まで連れて行く。
「おやすみなさい、 神楽ちゃん。」
渋々、 「おやすみヨ~、 新八、 銀ちゃん。」と返す姿を風呂上りの銀時と二人で見届ける。
そして今度は銀時の髪を乾かす。 「神楽の髪はやってやるのに、 俺の髪は嫌だってんのかよ」 と拗ねられる前に。
それからようやく、 なぜか後ろからついてくる銀時を黙殺しながら、 一日の疲れを癒すために風呂へ向かう。 風呂場の出入り口では、 銀時がドライヤーを構えてじっと佇んでいる。 擦りガラス越しの会話。
寝る前に和室に二人分の布団を敷き、 自分の寝床に潜り込む。 豆電球はつけたまま。
目を瞑っても、 隣に眠る人物の視線が突き刺さる。 彼の息遣いをすぐ耳元で感じたと思った時には、 布団に手をかけられている。 そっと侵入してきた大きな手を拒むことはしない。
―それから、 それから……
あれ? 僕いつ自宅に帰ってるんだろ……。
思考を無理矢理遮断するように、 新八は首を乱暴に振った。
「あれ~? 朝から鏡とにらめっこして溜息吐くなんて、 ど~したの~?」
廊下に繋がる洗面所の入り口から、 銀時が声をかけてきた。
「何々?顔赤らめちゃって……、 新ちゃんったらエッチ~。 昨夜のことでも思い出してた?」
からかうような響きに、 半分図星ながらも強く否定の言葉を入れる。
「……何だよ、 朝っぱらから不機嫌なやつめ。……ってあれ? お前、 おでこに……」
新八の異変に気付いたのだろうか。 眼鏡を奪われ、 額に顔を近づけられた。
普段は死んだ魚のようだと称され、 実際に何も映していないのではと感じられる時もある銀時の瞳。 しかし新八のこととなると、 どんな些細な変化でも見逃さない。
それが少し……、 かなり嬉しかったりする。
顎に手をかけられて上を向かされる。 そのまま顔を固定されて動けない。
近づく銀時の顔に心臓が逸るが、 抑える術を知らなかった。
仕方なく、 硬く瞼を下ろす。
やがて、 銀時が口を開いた。
「……お前、 それ……、」
いつになく深刻な声だ。 新八を睡眠不足にしてきた責任を感じているのだろうか。
―気にする必要なんてないのに。 アンタを拒まなかったのは紛れもなく、 僕自身なんだから。
銀時の様子が気になって、 そっと薄目を開けた。
新八の額に釘付けとなった瞳は爛々と輝き、 血走っている。 声は真剣でも、 だらしなく口角が上がっていた。
―あれ? この表情何か想像と違う……。
「沈痛な面持ち」 を予想していた新八は薄く開いていた瞼を見開いた。
「……お前、 これ……、
………… おでこに乳首できてる! か~わい~い!」
感極まった声で言い放つと、 寝起きの、 歯さえ磨いていない口で新八の額に吸い付いた。
額に生ぬるい舌の感触。 どうやら舐めまわされているようだ。 生臭い息が鼻先を掠める不快感。 頬に無精髭がちくりと刺さる。
押さえつけられていた力が弱まった瞬間、 手を振りほどいて出来る限り距離をとった。
銀時の、 つやつやと張りと弾力を持った肌を見ると無性に腹が立つ。
感情の趣くまま彼の顔面に蹴りを入れた。 仰向けに倒れた身体を踏みつけて玄関に向かう。
「ちょ……、 お前こんな朝っぱらからどこ行くの!?」
背中に慌てたような声がかけられた。
「薬局行ってきますっ! 駅前のとこはこの時間もう開いてるんでっ!」
怒りと羞恥に顔全体を染めた新八は珍しく荒っぽい歩みで万事屋を後にした。
決して豊かではない万事屋の経理を預かる身としては、 余計な出費は避けたいところ。
しかしたかが吹き出物のためだけに、 ビタミン剤を買おうと決心した新八の足は急くばかりだった。
―寝不足になろうが肌が荒れようが変態だろうが、 あの人と夜を過ごすのはやめられない。
まだ乾いていない、 額についた銀時の唾液が風をうけてひやりとした。
その感触を最大限に味わうために、 新八は早朝のかぶき町を駆け出した。
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